日々是平穏

こちらは黒辺あゆみが創作について語るブログです

コバルト文庫って私の青春だけれど……。

 コバルト文庫について言及する記事とかブログを色々目にしたので、私もちょいと語ってみようかと思います。

 

問題提起された記事は以下のものらしい。

anond.hatelabo.jp

そしてこの記事の存在を知ったきっかけがこのブログ

yocchi.hatenablog.com

 注意!

この記事は「コバルト文庫素敵、バンザイ!」的な内容になっていないので、「嫌な内容は目にしたくない!」という方は回れ右でお戻りください。

 

 

 

 私よりも下の世代の人は「コバルト=少女小説」みたいなイメージがあるみたいだ。

実際、コメントに上げられているのはほとんどそうだし。

 

けれど私にとってのコバルトって言ったら、圧倒的に「赤川次郎」なのである。

最近吸血鬼シリーズがすっごい萌え絵だったのを見た時、すっげぇ衝撃だったね。

アレにオッケー出すとか、大御所なのにスゲーよ赤川次郎先生……。

 

それはともかくとして。

いろんなジャンルのごった煮、それがコバルトのイメージだ。

少女小説レーベルになったのは、あくまで「流行りに乗っかった」結果だと思っている。

そしてやがて、少女小説としての地位を確立したというか、少女向け恋愛ものが売れて行く。

その時期というのが、私の体感的にバブル期と重なるのだ。

 歳がバレるのでアレなのだが、バブルというのは丁度私の学生時代だったりする。

 確かにあの頃のコバルトはすごかったよね。

 

でもここで重要なポイントが一つ。

確かにあの頃のコバルトの出版物は良質なものだったかもしれない。

だが、ここであえて言おう。

あの頃のコバルトは良質だったから売れたのではない。

バブルだったから売れたのだ。

私よりも少し下の世代になれば、もうバブル期というものがどういう時代かピンとこないだろう。

 私の地元は結構な地方なのだが、そこで長年百貨店の営業をやっていた知り合いのおじさんが言っていた。

二束三文のゴミみたいな品物に十倍の値をつけて戸板に並べて売れば、あっという間に品物が売れてなくなる。

それがバブルだと。

 地方でもそうなのだから、東京だったらいかほどの爆買いぶりだっただろうか。

 あの頃は消費こそが美徳で、カッコよかった。

それは出版界でも例外ではなく。

 その頃でも売れる売れないの話はあっただろうが、それでもバブルの売り上げでの比較だ。

きっと売れない本も、今とは最低レベルが比べ物にならなかったはずだ。

だから「あの頃のコバルトは良かった売れたんだ」という論は、あまり当てにしてはいけないと、私個人的には思う。

 

 そしてもう一点言及すれば。

以前にこのブログで書いた、里中満智子先生がコラムで仰っていたのだが。

出版社に「一番人気のあるシーンはなんですか?」と尋ねれば、少年誌は世代を超えて圧倒的に「勝利のシーン」だった。

しかし少女誌では違う。

世代別に人気のあるシーンがバラバラなのだ。

中高生なら青春ものの告白シーンだとか、二十代ならオフィスラブだとか、年代によって傾向が変わる。

これを鑑みて考えれば。

昔コバルトを愛読していた読者は、年を経るにつれて当然世代が上がる。

世代が上がれば、好むジャンルが変わるのだ。

ならばこの時出版社は選ばなければならない。

世代が上がった読者の好みに合わせるのか。

今ターゲットにしている十代の好みに合わせるのか。

 

そして「よし、今のターゲットのままで行こう!」となった場合、これが重要だが、「今の出版傾向のままでいい」という意見とイコールではない。

時代と共に、十代の好みも当然変わるのだ。

以前爆売れしていたジャンルが、十年経てば飽きられるというのは当たり前のことだろう。

つい最近までラブコメものの漫画や小説の映画化が続発していたが、そろそろ人気に陰りが出ているという記事をみたことがある。

だから出版社側は、ターゲットにしている世代の好みに敏感でなければならない。

今web小説の書籍化が流行っているのは、「全く知らない物を買うのはリスキー」という今時十代に合った売れ方なのだと思う。

だからその好みを察知して、カドカワ系や講談社系のラノベレーベルはweb小説からの発掘に力を入れている。

しかし、コバルトはこれに乗れなかった。

そして「バブル期のコバルトっぽいもの」を出版し続けた。

これは既存読者の好みの変容にも、新たな十代読者の好みにも対応できない悪手と言えるだろう。

時代を経て老舗のレーベルと化したことで、レーベル色というものに固執したのかもしれない。

でもこれは、別にコバルトに限った話ではない。

老舗の出版社ほと、バブルの爆売れの呪縛に縛れている気がする。

「あんなに売れたんだから、あれがウチの売れ筋なはず」

こうした思考からなかなか抜け出せないのは、出版業界だけでもない。

普通の会社でもたまに聞く愚痴であり、「いや、バブルの頃の売り上げと比べられても」と一般人は思うのである。

 

しかし、コバルトだってチャレンジはしたようだ。

エブリスタで新人賞をやって、ちょっと書籍化の波に乗ったことがあった。

けれどその当時、私はエブリスタを使っていなかったこともあるが、そこでコバルトが新人賞をやっているなんて話を聞いたことがなかった。

今でこそエブリスタとなろうは人気の作品傾向が分かれて、棲み分けができている。

だが当時はなろうと似たような投稿が多く、ユーザーも重複投稿をしてなろうから読者を引っ張っていく手法が取られていたはず。

その頃、web小説の圧倒的シェアはなろうだったのだ。

そんな中、web小説を投稿していたユーザーの何割が、エブリスタでのコバルトの新人賞のことを知っていただろうか?

エブリスタユーザーはライバルに増えられても困るから、「コバルトが賞をやっているよ!」なんて積極的に宣伝なんかしないよね。

それでもあえてエブリスタで新人賞をやったのは、既になろうとがっつり連携していた講談社系のレーベルである一迅社の存在があるのだろうと推測される。

なろうでやって、一迅社の後追いと思われたくなかったのかもしれない。

そしてコバルトはエブリスタから流行りものを釣り上げたというより、形式的にエブリスタを利用してコバルトっぽいものをチョイスしたという印象が強い。

webからの書籍化という名目があればいいんだろう、と考えたのかもしれない。

けれど、それほど読者もおめでたくはないもので。

あくまで人気作の書籍化だから、売れるのである。

 

そしてコバルトの衰退の原因に、「オレンジ文庫なんてものを作ったのが悪い」という意見もある。

そっちでチャレンジしないでコバルトで頑張ればよかったのに、ということだ。

けれどこれにも異論を言いたい。

新しくレーベル色のないオレンジ文庫が、いろんなジャンルにチャレンジできるのは当然なことだ。

新レーベルなのだから、当然編集の方々も新人が多いことだろう。

だから流行りに柔軟に対応できる。

しかも今、「キャラ文芸」という便利なジャンルがある。

特徴のあるキャラが主人公の話は、ファンタジーだろうと現代だろうと歴史ものだろうと、全てキャラ文芸だという乱暴……げふん、便利なジャンルだ。

これに乗ったオレンジ文庫は賢いな、と正直思う。

面白いと思った作品を、レーベル傾向で落とした挙句に余所に持っていかれる、なんてことがなくなるんだから。

 オレンジ文庫だけではない、各出版社が既存のレーベルではなくて新しいレーベルを立ち上げてweb小説を発掘するのには、こうした事情は少なからずあるだろう。

既存のレーベルでweb小説を書籍したらファンから苦情が出るかもしれない。

実際、web小説にアレルギー反応を抱く読者は一定数いるようだし、「とうとうなろうが来たよ」という嘆きを感想版などでしばしば見かける。

しかしこれも、新しいレーベルだと問題ないというわけだ。

 

さて、ここまで色々語って来たが。

要するに私が言いたいのは、恐らくコバルトは現在、ようやく舵取りの方向を変えようとしている時期なのではないか、ということだ。

それがレーベル色を変えての復活なのか、オレンジ文庫との合併なのかはわからない。

コバルトにはレーベル色が付きすぎた、と出版社側は考えるかもしれない。

それでもコバルトにはぜひバブル爆売れの呪縛から抜け出し、新たな一歩を踏み出して欲しいと期待する。

 そして読者も、コバルトがもし今までとガラッとテイストに違う作品を出版しても。

「こんなのコバルトじゃない!」と拒絶するのではなく。

「おっ、チャレンジャーだなコバルト、でもドンと私にぶつかってきなさい!」的な寛容さを持つ必要があるのかもしれない。

 

最後に、私の論理に異論があるのは認めますからね。