小説家という職業は、文章を生み出す仕事である。
なので当然膨大な読書量に裏付けされているんだろうな、と思っている人が結構いると思う。
けれど断言しよう。
私、最近あんまり読書ってしてない!
むしろ本屋って行かない!
でも、読書が嫌いなわけではない。
学生時代はよく図書館に行ったり本屋を覗いたりしてたよ。
なにせ図書館が近いから、行きやすいんだよね。
小説家を職業にすると、読書って趣味じゃなくてネタ探しのツールになってしまう気がする。
何故そうなるのか。
「他の本なんて読んだら、影響されそうじゃんか」という人もいるだろう。
そういう面も無きにしも非ずだが、そんなものは「自分のスタイル」を確保したら気にならなくなる。
個人にかける文章っていうのは、しょせん幅が決まっているのですよ。
最近、つくづくそれを実感している。
ならば、これ以外の理由はなにか。
答えは、読書する時間がないから。
読書ってさ、集中しているといつの間にか、結構な時間が過ぎたりしない?
一、二時間くらいは平気で過ぎ去る。
そんなことを繰り返していたら、仕事にならないわけで。
なら締め切り終わってオフの間なら読めるじゃん、って思われるかもしれない。
けどそういう時って、文章事以外のあれこれをしたいじゃないか。
例えば、ゲームとか、ゲームとか、ゲームとか……。
でも、読書は大事だよ。
読書力って貯金されていくものだと、私は思っているんで。
一番多感で吸収力がある中学時代が、読書貯金をするには大事だろうな。
たぶん私の読書力の基礎は、赤川次郎先生だろう。
学校の図書館に揃ってたから、それを片っ端から読んだんだよね。
今思えば、たぶん図書委員か司書さんが好きだったんだろうな、赤川次郎先生のことが。
それからラノベに走ったけど、ラノベ以外でも図書館でおすすめコーナーにある本を手に取ってみたりして。
図書館っていうのは、自分の知らない本と出会うには絶好の場所だろう。
けど今だって読書というか、文章を読んでいないわけではない。
現在だって毎日文章は読んでいる。
私が毎日読むもの、それは新聞だ。
いつだったか、芥川賞作家の羽田圭介先生が、新聞の対談で言っていた。
「どんなものでもいいのではなく、整った文章を読むことが大事」
整った文章とは、ちゃんと校正が入って正しく整えられた文章のこと。
ネットの掲示板の文章ばかりを見ていたら、思考がその文章に染められ、固まってしまうらしい。
確かに、心当たりはある。
2ch、今は5chか、アレを結構覗いていた時って、思考が掲示板っぽくなってた気がする。
でも、2chが悪だとは思わない。面白い読み物だという程度で済ませればいいのであって、アレを文章力の基本においてはいけないという話だ。
それで言えば、正しい文章を読むのにうってつけなのが、羽田先生曰く新聞だという。
ちなみにこれは、記事の内容が正しいっていうことではないからね、念のために。
新聞は限られたスペースでいろんなジャンルの話題があり、文章に工夫がされている。
そしてわかりやすいように、読者を不快にさせないように、神経を尖らせている。
ネタ探し兼教科書にするには、うってつけというわけだ。
そして大事なのが、ネットで気になる記事だけ拾うのではなく、紙面をまんべんなく読むのが大事。
世の中ではいろんなことが起きていると知り、視野が狭くなるのを防げるからね。
別に新聞記事をもとに感想文を書いたりする必要はなくて。
意味が分からなくて上滑り気味に「ふーん」で済ますのもオッケーである。
大事なのは、正しい文章に自分を染めることだから。
なるほど! と思った単純な私は、それ以来新聞をちゃんと読むようにしている。
正直、それまで新聞読まずとも生きていけると思っていた人です、ハイ。
大人が皆、新聞を熟読しているわけではないのだ、子供たちよ。
そして加えるならば、読書家であることが、人として位が高い証拠ではない。
たまに、読書しないと人として終わっている、みたいなこと言う人もいるけどね。
だが、読書と人間性は関係ない。
多読の人は、単に趣味なのである。
それに私は、漫画だって読書だと思っている。
羽田先生理論で言えば、漫画の吹き出しだって校正が入った立派な文章だ。
だって漫画ってすごくない?
絶対センスがいるって。
漫画の原作に興味をもって、小説の世界にはまる人だっているだろう。
そして「原作より漫画のほうが面白かった!」という場合も、たまにあったりする。
でも世の中、「漫画なんて害悪でしかない」論者がいる。
時代遅れも甚だしいと思うが、時代は進んでもいなくならない。
それはなぜかと言うと、親が勧める本しか読まない「いい子ちゃん」な青春を過ごす人が、一定数いるからだと思う。
自分が「教育にいい」本しか読んで育たなかったから、親になっても子に同様の本しか勧めない。
「私は漫画なんて読まないからこうして立派な大人になれたんだから、アナタも読まなくていいの」という論理が成立するわけだ。
親と子が性格が似ていたら、その子も素直に親の勧める本だけを読み、そして大人になってと、無限ループに入っていく。
ましてや、習い事で忙しい昨今の小中学生だ。
学校での休み時間は宿題などを片付けるのに忙しくて、友人と雑談する暇がない子がいてもおかしくはない。
だから、漫画の貸し借りの輪に入る余裕がない可能性もある。
そうなると、親が勧める本以外と接触するチャンスがどんどん失われていく。
こうした環境の子が不幸なのは、自分の本当に欲しい本について考え、手を伸ばすチャンスを得られないことだろう。
本って、自分から自主的に最初の一冊を手に入れるのは、かなり難しい。
最初に読む絵本は親や祖父母、その周囲が買ってくれるだろうし。
その際、「少しでもためになるものを」と思うのは、別に悪いことではない。
ただ、子どものためになるかは、子ども自身にも聞いてやってほしいと思う。
害か得かで本を選ぶのは寂しいじゃないか。
くだらない本こそ、読書し甲斐があるというものだろう。
こうした害悪論は本だけではなくて、テレビなんかでも同様なことを言う人がいる。
「最近見る番組ないよね~」
そんなことを言う人曰く、お笑い番組ばっかりでためにならない。
一日中ニュースかスポーツを流していればいいのに、だそうだ。
私は、そんな世の中絶対嫌だ。
くだらないものを見て「くだらねぇ~」と笑う楽しみだってあるのだよ。
むしろそんな余裕を持てないテレビなんてテレビじゃない。
まあそんなことを外で言う人って、「私ってレベル高いでしょ?」って言いたいんだろうけど。
絶対に家でお笑い番組とか見てるって。
さて最後に、ここまで語った結論としては。
皆、読めるうちにいろんな本を読むといいよ!
特に新聞はオススメだよ!
今どきは定期購読料もバカにならないんで、新聞を取らずにネットでチェックという人も多いだろう。
けどたまにでいいから、新聞を買ってじっくり読んでみてはいかがだろうか?
コンビニでも一般紙は売っているぞ!
なんか、新聞屋の手先みたいになったな(笑)