私、メモ魔デビューをしてからというもの、物事に対して「何故、どうしてそうなんだろう?」という思考を、だいぶ抱けるようになりました。
ちなみに、メモ魔のバイブルはこちら!
この「何故?」を抱くのは自然と身に付くものではなく、思考のトレーニングが必要でして。
そのトレーニング方法こそが、メモなんですよね。
そんで、「何故?」という思考を常に持つようになると、如実な変化が起こりました。
それは、物事に対してヘイトな思考をしなくなった。
分かりやすく言うと、目の前の対象物に抱く感情には、「好き」と「嫌い」以外のモノがあると知った、といいますか。
ヘイトというのは、思考停止の産物だと思うんです。
どうしてそう考えるようになったかというと。
ある時とある場所で、「あのCM意味不明」「キモくて嫌い」みたいな内容の会話が聞こえたんですよ。
CMがどれのことなのかは、割愛するとして。
これまでの私なら、別に何とも思わず、「へぇ、そう」で済ましていたんですが。
今の私は、これをとっても残念というか、もったいないと感じてしまいました。
悪口はよくないからとか、そういうのももちろんありますけどね。
けれどそれ以上に、そこで思考停止してしまっていることがもったいないのです。
話題のCMが意味不明ならば、どうしてそんな意味不明なCMをわざわざ作ったのか、狙いはなんなのかとか。
好印象が抱けないのなら、どこがマズいと思うのかとか。
その人が一言で済ませてしまっている事象に対して、色々な角度から思考できるんです。
そして思考の向こうに、新しい発見がある。
目の前の事象を、分かりやすい単語だけで振り分けて切り捨てるなんて、人生の伸びしろを捨てているようなものではないか、と思うのです。
けれど、その会話をしている人たちは、ちょっと以前までの私なんですけどね。
「嫌い!」だと思ったら、その事象に対してネット検索をかけて、同じように嫌っているコメントを多数見て「やっぱりね!」と安心する。
誰しも、したことのある行動だと思います。
けどだいたい「好き」「嫌い」という感情を持つと、「好き」よりも「嫌い」の方がネットへ流れる傾向があると、私は思っています。
「好き」という感情はわざわざ他人と共有しなくても持っていられるけど、「嫌い」という悪感情はやはりストレスがかかるので、「持っていていいものだ」という安心材料を求めるのでしょうね。
だからその「嫌い」と思ったものを検索をかけて、「嫌い」コメントばかりが目につくのは当然なんです。
だから、それだけで自分が多数派だと思うのは間違い。
むしろ、そんなことを検索している時間はもったいない。
それこそ、時間泥棒ですよ。
同じ時間で、どれだけの「何故?」を思考できることでしょう。
今、世間で起きる対立というのは、この二極化した「好き」「嫌い」の争いが原因の一つではないか、と考えられると思うんですよ。
けれどここに「何故?」を挟むと、「好き」派も「嫌い」派も混じり合って議論となる。
議論するところから、新しい思考が生まれる。
私はそう思います。
みなさんも、メモ魔になって思考トレーニングをやってみませんか?