日々是平穏

黒辺あゆみの Official Blog

自粛の止め時の難しさ

ウチの地元では分かりやすい数字が出たから、自粛の解除に進みやすかったけど。

東京あたりは難しさに直面しているよね。

 

まず、自粛に対する気持ちが、立場によって違う。

例えば年金暮らしの人なんかは、はっきり言って自粛になっても経済的には困らないから、極端な話、永遠に自粛してくれて構わないわけだ。

ご近所さんとのコミュニケーションが減るのはマイナスだろうけど、普段からそんなに人付き合いのない人だったら、それも苦にならない。

一方でコロナ後に給料が激減した働き手、店が立ち行かなくなった自営業者はそれでは困る。

一日も早く明けてくれ、もっと言えば最初から自粛なんてしないでくれたら有難かった、というのが正直なところだろう。

 

この両者は、まず意見が交わることはないと思っておいた方がいいだろうね。

そもそも自粛になったのは、御上の意志というよりも、民意に御上が押された面がある。

つまり自粛は正義で、経済問題を論じるのは悪者だったわけだ。

その結果が今なんだけど、自粛を強く言い出した人は、デカい会社や老舗が潰れるなんて、想像もしていなかったんだろうね。

どこか、「世の中で儲かっている店には大金があって、この先10年くらい困らないお金は十分にあるんでしょ?」みたいに考えていたんだと思う。

けれど、現実は違ったわけで。

 

自分としては、日本全国一斉に自粛する必要ってあったの? って思うけど。

春先では一部の地域が非常事態宣言を出したら、非常事態宣言を出している自治体がトレンドだ、みたいな雰囲気になった。

今、屍累々な商業を前に、自粛トレンドに乗って自粛警察をやっている人たちは、もう引っ込みが付かないんだろうな、って思う。

だって敢えて誤解を恐れずに言うならば、潰れた会社や老舗店を生んだ原因は、自分たちにも少し責任というか、重しがあるんだから。

今「やり過ぎだったかも?」と認めてしまったら、その重しを被ることになる。

 

「助けない政府が悪い」って言う人がいるかもだけど。

国内の商業を全て助けるような体力が日本政府にはないことは、最初から分かっていたわけで。

「自粛=倒産」の図式が避けられないことは、想定内だった。

だから財務省とかがどうにか経済を止めないように踏ん張ろうとしたけど。

「自粛が正義」の流れに乗ってしまった国民にとっては、その姿は「命を軽んじている」とか「金をケチりたいんだろう」とかに見えてしまって。

経済軽視の意見が急に萎んだのは、とある店主がコロナ赤字を苦に自殺をしてからだな。

あれは本当に、同じ自営業者として身につまされたよね……。

あれで一気に経済論者叩きの熱が冷めたのが分かった。

だって、ついったで絡まれなくなったし。

 

コロナに罹った人も、コロナ自粛による経営難で食い詰めた人も、同じ被害者のはずなのに。

前者は大きく報道されて、後者は人知れず社会から消えていくって、どうなのよって思うのよ。

給付金や補助金が遅いのが悪い?

いやいや、そんなもんが即金で支払われることなんて、あるわけないし。

そんな早いの、消費者金融くらいだよ。

 

私だって、自粛が悪だったとは考えない。

けど、自粛になった時に世の中がどうなるのか、テレビの情報だけではなくて、もっと個人が真剣に想像力を働かせればよかったな、と自戒を込めて思います。

だから、そろそろ政府のせい、誰かのせいにして叩くのはやめよう。

コロナが短期間で収束しないのは、最初から言われていたこと。

なら、自分で自分を守るのが先であって。

自分の安全を誰かに丸投げをするのは、「こうしていれば絶対に安全です」って教えてもらうことは、もう無理なんですよ。

だから人に避けてもらうんじゃなくて、自分が避ける。

そうすればコロナ関連の関係者叩きも無くなるってもんでしょ。

そして、いいカンジの新しい日常を手に入れましょう。

そんで、いい加減にマスコミは三密警察を止めて欲しい。

観光地に行ったら悪いって、観光地だって生活がかかっているんやで?