とはいえ、親戚とかは呼ばずに家族だけでやったんですが。
ウチはお寺でするんで、熊本の菩提寺まで行ってまいりました。
ついでにまだ持ってた父の遺骨も、納めてきましたよ。
母も、「もうそろそろいい」って言うもんですから。
それに、こういうのはいつか区切りを付けなきゃいけないものですし。
寂しかったら、来月の月命日に会いに行くからいいよね、ってことで。
そんで一周忌に納車が間に合って、父を新車で送れてよかったね、って話にもなりました。
車の免許を最後まで手放したがらなかった父ですから、きっと乗りたがっただろうね、って。
人によっては、いつまでも亡くなった人のことをこんな風に話すなんておかしい、って言うでしょうし。
それこそ今どきは、四十九日を過ぎたら全く構わず、月命日も〇周忌の供養もしないっていうのが多いらしいですけど。
ウチとしては、やれることは全部やってあげたいし、父の事がいつまでも話題に上ります。
これは「まだ寂しいからだ」とか、「気持ちの整理がつけられてないから」とかじゃなくって。
これが我が家の自然な姿なんだと思います。
寂しくって当たり前です、だって家族ですもの。
寂しいことが悪い事だ、なんてのが変なんですよ。
もし亡くなった人と仲の良い間柄ではなかったとしても、
なにかしらの感情が残るのは、当たり前で。
「なんとも思わなくなる」日が来るなんて、ありませんよ。
最近、色々と訃報が聞こえてきますし。
今日だって俳優さんの訃報が朝から流れましたけど。
自分のあるがままを、受け入れていきたいと、そう思ったりする日なのでした。