日々是平穏

こちらは黒辺あゆみが創作について語るブログです

高齢者の車事故について考える。

例の事件で、また高齢運転者の事故について興味が集まっている様子。

でもこれ、高齢者と今のところ接点のない人と、家族や身近に高齢者がいる人とで、温度差っていうか、認識の差がある気がする。

そして敢えて誤解を恐れずに言うなら、批難する人も、事故っていうものを舐めている気もする。

もちろん! 事故った人が悪いのである!

それは前提も前提なこと。

 その上で、わが身、我が家族に置き換えて考えてみたい。

他人事だとなんとでも言えるけど、もしあの事故ったおじいさんが、自分の家族だったら? って

 

まず、高齢者でなくったって、事故った時ってパニクる。

なにが起きたかなんて、自分で把握できているはずがない。

そして、人間は無意識に保身に走る生き物でもある。

「今の、本当に自分が悪かったのか? 相手の方が勝手に突っ込んできたんだろう?」

とか、

「踏み間違いとか、嘘だ。自分はちゃんとブレーキを踏んでいた」

とか、マジで思っちゃうのよ。

そういう思考になってしまうのが、事故だということを、大前提にしておかなければならない。

その上で、事故った人に「アナタが悪いんです」っていうのを認めさせる必要があるわけだけどね。

けど、すんなり「そうだね、自分が悪かったね」ってなったら、そもそも車の保険会社は要らないわけで。

これが、高齢者でなくったって揉めるのよ。

ウチ、実家の店が交差点にあるんで結構事故を目撃するけど、警察よりも保険会社の人の方が現場に長くいると思う。

任意保険の必要性は事故の金額補償以上に、事故った時に相手に事故の事実を認めさせることの方が、大きいと思う。

だから個人的に任意保険は、月に数回しか乗らないほぼペーパードライバーっていうんなら、安いネット保険でもいいだろうけど。

がっつり乗るなら、保険の営業さんと顔を合わせるご当地に営業所のある保険をお勧めする。

 

その上で、高齢者だとどうなるか。

なまじそれまで無事故無違反で来ちゃってたら、まず事故を受け入れられない。

私も想像するのよ、あのおじいさんがもし自分の親父殿だったら、なんて言ったかなって。

そんで、家族揃って言うのが、「自分はブレーキを踏んだって言うだろう」ってこと。

もう、事実がどうのという話じゃなくて、認められないのよ。

そんで、「悪いことをしていないのに、どうして謝るんだ」ってなるだろうな、って。

さらにたぶん、家族がいくら「こちらが悪かったんです」って言っても、本人が認めなかったらもう、泥仕合に突入なりよ。

 

こういう事態になったら、事故った本人の意思を変えるのが難しいのは、先述の通り。

この心理、多分人身じゃない事故でも、事故を経験した人じゃないと、真に理解できない気がするのよ。

「私なら土下座して謝るよ!」ってキッパリ言えないっていう、微妙な心理ってヤツをね。

「でも、人ひとり死んでいるんだよ!?」っていう意見もあるだろう。

けど、逆に「人ひとり死んでいる」からこそ、余計に認められないと思う。

殺人犯になったことを「そうですか、わかりました」って即言えるのは、相当に悟りを開いた人だろう。

個人差はあるんだろうけど、車での死亡事故って、死亡させたっていう罪悪感が薄いみたいなのよ。

これ、ご近所に人身死亡事故を二度も起こしてまだ車を乗り回している人がいるから、しみじみ感じていることである。

だから「申し訳ない……!」って事故現場で泣き崩れるのは、二時間ドラマの中だけでのことだと思っている。

 

だからこそ、事故ったらその処理をするためのシステムが、官民一体となって出来上がっているわけだ。

ゆえに、あの痛ましい事故を繰り返さないために我々にできることはなにかと、考える。

それは今のように、あの事故の被害者だけでなく、加害者がもし自分だったら? と想像することと。

万が一、最悪事故ってしまったら、なにができるだろう? って考えることだと思う。

事故を起こさないに越したことは無いんだけど、「絶対に事故らない車」なんて存在しないのだし。

事故を少しでも軽くする努力(スマアシ車とかね)と、事故の補償を被害者にがっつりしてあげられる環境作りが大事。

だから、保険も大事!

なにせ任意保険が無保険な人って結構いるらしいからね!

そんな人相手に事故ったら、ホント最悪ですよ!

 

任意保険は、自分のために入るものではない。

これを覚えておくべし、だね。

 

最後に繰り返すけど、真理としては事故った人が悪いのである!