日々是平穏

こちらは黒辺あゆみが創作について語るブログです

ふと気づいたこと

今日の我が家の新聞に、五木寛之氏のコラム記事があったんですよ。

www.asahi.com

これを読んで、「ああ、そうだよな」って思った。

なにをかっていうと、「そういえばウチの家族も、朝鮮からの帰還組だったんだよなぁ」っていうこと。

父方の一族が帰還組で、それも父自身がそうだから、決して遠い記憶ではない。

父はうっすらと記憶にある程度の幼さだったようだけど、昔はよく盆正月で親せきが集まった時に聞かされたものです。

死ぬ思いで歩いて大きな河をわたったとか、家族がその河で流されてそれっきりだとか、身体にわいた蛆を自分で潰したとか。

だから我が家のお墓には遺骨のない人がいるし、骨が拾えず現地の石を入れられている人もいる。

私はこの昔話を普通に聞いていたけど、それが今ウクライナで起きているんだよな。

今のこのニュースを見て、もう亡くなった大叔母はなんて言っただろう?

しかも日本人とはまた状況が違う。

朝鮮からの帰還組はなんだかんだで占領者側で、戦争で負けて元の住民から追い出された人たち。

戦争に負けるまではどっちかというと、今回のロシアの方に立っていた側なんだよね。

実際戦争がまだ負けていない時期までは、ウチの一族もいい暮らしをしていたらしい。

日本だと元は田舎の農民だったのに、年頃の娘は女学校なんかに通ったりしてね。

けど今のウクライナの人たちは、元からの住人なのに追い出されている。

う~ん、日本人としては安易に「可哀想」では済まされないよなぁ。

 

そんな我が家でも、家族の中で戦場になっている村に残っている人をテレビで見て「なんでこの人まだここにいるの? 実はそれほどひどい状況じゃないの?」とかって、ちょっと的外れなことを言う輩がいる。

それを聞いて私は、「ああ、この人は今見ている自分にわかりやすい情報だけが、世界の全てなんだ」って思ったんです。

そんなもの、逃げられる人はある程度の裕福さが必要だからに決まっているじゃないのさ。

自力避難だと、まず車を持っていないといけないし、ガソリン代だってかかる。あと逃げた先々での食糧費。

いくら自治体が逃げるためのバスを用意してくれても、先々で配給があったとしても、やはりお金は必要なのだ。

もちろん徒歩で延々と移動する人もいるけれど、それでも必ず必要なのは生活資金。

それが用意できなかったら、避難したとしても飢え死にするかもしれないし、だったらシェルターに籠っているしかできない。

年金が唯一の収入で、自宅の畑で採れる野菜で食事を賄う暮らしをしていたら、一体どうやって避難費用をせっていうのよ?

そういうことを、リアルな事情として想像できないんだなぁ。

 

そんなことを思った、今日でした。