お取り寄せした小説すばる、黙々と読みましたよ。
いろんなジャンルが詰め込んであって、なかなか面白かった。
あと、挿絵が多めなのは、たぶん目を休めるためでもあるんだろうなぁ。
3段で文字がみっちりあるから、目が疲れちゃうもんね。
文芸小説を読んで楽しくはあったけれど、同時に私は小説家の端くれでもあるわけで。
そういう視点でこの小説すばるを読んでいて思ったのは。
私には向かないジャンルだな
っていうこと。
たぶんこのジャンルを書けないと思う、私。
なんかね、文芸とか純文学系って歳をとれば自然とこちらを読むようになるのかな?って考えていたのよ。
けど違うな。
いわゆるライトノベルとは、主軸っていうか、優先要素が全く違う。
文芸や純文学は、いかにキャラの心理とか環境を詳細に、文学的表現で書けるかが求められる。
この心理描写をかき込むためには、キャラがウジウジしていた方がより生きるわけだよ。
一方でライトノベルは、ストーリーの起承転結が優先要素。
キャラ立ちだけではダメで、ストーリーの盛り上がりとオチが求められるのよ。
ストーリーを展開させるためには、主人公が行動的でないと始まらないので、自然とポジティブなキャラになる。
以上が私の考察なのだけれども、たぶん外れていない気がする。
ライトノベルは「なにかを解決する」ことが物語の使命としてあると思う。
一方で文芸、純文学はたいてい「なにも解決しない」のだ。
私の偏見を述べさせてもらうならば、文芸、純文学ってセックス描写と誰かを死なせれば、それがオチとなって終われる。
実際小説すばるを読んでいて、「セックスと死にネタを必ず入れるっていう縛りがあるのか?」っていうくらい、まんべんなくこの二要素があった。
そして、特にセックスはネガティブ要素であり、これがポジティブ要素になるとエロ小説になるんだろうな。
私が思うに、この文学ジャンルのネーミングが悪いと思う。
「ライトノベル」ってなんか「小難しいことが考えられない奴が読む、お軽い読み物」っていうイメージがある気がしない?
誰が最初に言ったのか知らんけれど、当時は「ストーリ性とか必要なし!心理描写こそが文学だ!」っていう時代だったんだろうなぁ。
私が分けるとしたら、「ストーリー文学」と「キャラ文学」にするかなぁ?
ラノベ寄りの文芸作品を「キャラが立った文芸作品」っていうことで「キャラ文芸」っていう表現をすることあるけれど、あれはある意味正しい。
ラノベの中でも、キャラにより文字数を割いたもの、っていうことだと確かに文芸ジャンルになるもんね。
そんなわけで。
歳をとってもラノベを読んでいると、「いつまでも子どもか!」とか馬鹿にする人もいるかもだけれど。
ウジウジキャラは見たくない、スカッとしたいと思うなら、ラノベになるんだよね。
電子書籍のおかげでいくつになってもラノベが買いやすくなった昨今、無理して周囲に合わせて文芸作品を読まなくてもよくなった。
だから、文芸がラノベに寄ってきたってことなんだろうな、「キャラ文芸」とか言い出したのって。
そんなことを考えるのでした。