日々是平穏

黒辺あゆみの Official Blog

ちゃんと症状名があったよ

最近「スペクトラム系の人に優しい社会になろうよ」という働きかけをする講演会とか、本とかをよく見かけるわけですが。

その家族にも優しくしてよ、とか思うわけですよ。

特にスペクトラムは、病院で診断されていない隠れの人が多いですし。

その上無駄に口が強いせいで「発言力のあるデキる大人」に見えてしまうから、家族が苦労していたとしても、他人からは「頼りがいのある人じゃあないのぉ!」って言われてしまうのよ。

この世間とのギャップのモヤモヤ、ちゃんと名前がついていたんだってばよ。

osakamental.com

これ、まさしくコレですよ、私!

なんか、症状名があるっていうだけで、世間が私の苦労をわかってくれていると思えて、ちょっと肩の力が抜ける気がする。

私も兄と面と向かっていると情緒不安定になる自覚があるから、極力顔を合わせないようにしたいし。

食事とかで相対する必要がある時は、

「あの人はファミレスの隣の席の人、隣の席の人の会話に突っ込みなんていれないよね?」

とかってメンタルコントロールをしていたりする。

コントロール不可能な暴走列車を何とかしようと思っちゃダメ、どうやって逃げるかを考えなきゃ。

この考え方は正しかったんだと、改めてわかってホッとするわ。

そもそも、この兄と今後の人生を切り離すために、実家店の移転に貯金をつぎ込んだんだしな。

将来のストレスの素をお金で解決しましたとも。

 

病名がついているんだから、「私は元気、平気!」とか考えないで、自分をヨシヨシしてやりながら、ぼちぼちやっていこうかね。

金の生る木が枯れている

ずっと育てている金のなる木が、今年の冬に枯れちゃったんだ。

これ、実家店の大家のおばあちゃんから「世話できなくなったから、あげる」っていってもらったやつんだったんだけれど。

前の店では、屋根の下ではあったけれど外におきっぱなしでも、平気だったんだけれど。

どうやら引っ越し先では置いている場所の風向きが悪かったようで、寒くて根枯れした模様。

そうね、めっちゃ北風だったもんね……。

けど引っこ抜いてみると、かろうじて生きている根っこがあるのだが、その生きている根っこが、土部分に届いていなかった。

なもんで、望みをかけて枯れ枝を剪定して、深めにぶっさしてみた。

あと、まだ緑色の枝もポキッとしてぶっさしてみた。

金のなる木はなかなか生命力がしぶといと聞くし、望みは捨てない。

ちょうど株分けするのに良い季節になったし、君たちがんばって生き残るのだぞ!

気を付けようと思うこと

例のねこクラゲ氏の騒動は、まだ界隈では静まりそうにありませんが。

まあ、関わっているのが今絶頂期の作品だっただけにねぇ……。

けど自分なりに思うことがありまして。

それは「薬屋」の原作者とねこクラゲ氏が、かなりXで頻繁に絡んでいる様子だったんですよね。

一方で、もうひとつのコミカライズ作者である方とはさほど……っていう、この温度差はなに?っていうのが、結構言われてはいたんですよね。

その原因が発覚。

なんてことはない、原作者とねこクラゲ氏、同じ福岡県民だったのね。

九州民同士どころではなかった。

そしてニュースでねこクラゲ氏が南区って住所が出ているし、もし原作者が仮に福岡市周辺住まいであったとしたら、リア友である可能性があるのだ。

まあ、かくいう私も福岡県民ではあるけれど、私は熊本県の方が違い県境住まいで、福岡市方面はプチ旅行扱いの場所だったりする。

けれどお二人が同じ福岡市住まいだったなら、会ってお茶するのが頻繁にできる。

あくまで、仮にの話なのだけれども。

 

これになにを思うのかっていうと。

自分がアルファポリスの頃に担当さんから最初に言われていたことは、「くれぐれも挿絵担当と直に話を通さないでください」ということだったっけ。

作品を編集していい感じに仕上げるのは、あくまで出版社であり、作者が絵師に直に意見を通したら、それは同人誌と同じこと。

幸い、私は近所にいる絵師さんと組んだことはないし、SNSとかでキャッキャウフフと盛り上がる性格でもないし、やって精々Xアカウントをフォローする程度。

あと「締め切り前で辛い」ポストに、応援コメントを入れる程度か。

 

これで、原作者とねこクラゲ氏が表面上の付き合いでドライな関係だったならば、「まあ作品とは関係ない話よね」でファンも収まるだろう。

けれど、そう割り切るには両者はちょい絡み過ぎていた。

Xって文字面だし、そもそもどちらがより積極的にコミュニケーションを得ようとしていたのかは、定かではないのだけれど。

仮にご近所さんでリアルでもそこそこ交流ができてしまうと、SNSでも無視っていう選択肢がなくなるんだよね……。

その一方で、もう一人のコミカライズ作者との方が、実は適正な関係性だったんだろう。

そう思うと、最初にアルファポリス担当さんから言われた「絵師との距離感」は、大事なことなんだなぁ、と実感するわけで。

あくまで仕事相手であるべきで、仲良しグループになるべきではない。

アルファポリスはそのあたり、ちゃんと作者を教育してくれたんだなぁ、ありがたい。

 

そんなことを思った本日なのでした。

距離感って大事だよ。

本屋大賞とか

先日、本屋大賞が発表されましたね。

www.hontai.or.jp

この「成瀬は天下を取りにいく」が大賞となったんですが。

あらすじとしては、「主人公の女子中学生、成瀬あかりが、閉店を控える地元の百貨店に毎日通ってテレビ局の中継に映ろうとしたり、漫才の日本一を競う大会に挑戦したりするなど合わせて6つの短編からなる青春小説」ということらしいですよ。NHK記事より抜粋なり。

これにね、新聞広告なんかで「新しいヒロイン像」「ニューヒロイン誕生!」「こんなヒロイン見たことない」とか、煽り文句が並んでいる。

けど、ラノベ畑の私からしたら「新しいか?」って、ちょい首を傾げる。

ラノベからしたら、むしろ擦り切れるくらいに使い古された主人公像だと思うんだけれど。

これはあくまで「文芸ジャンルオンリー読者からしたら」新しいっていう話なんだろう。

文芸でこれまで一般的だった主人公って、ちょい根暗で真面目ちゃんで、なにをするにも一生懸命な姿が周囲の共感を呼び、だんだんと世界を変えていく……!的なものだったし。

むしろラノベ的作品がラノベとしてではなく、文芸作品として評価され始めているっていうことなんだと思うのよ。

 

っていうか、ラノベだって立派な文芸作品だろうに、文芸とは純文学であり、あっちは文芸ではないとか言われて下に観られていたのがおかしい気もする。

あれだよ、昔の親が「ゲームなんてするやつはクズだ!」とか言われていた時代の、ゲームとひとくくりにされていた感じ。

特に一時期の芥川賞選考委員の方々の中に、ラノベ的作品を「馬鹿な作品」とかってすごく毛嫌いされているセンセイがいらっしゃったもんだから、そういうのに忖度して純文学界がラノベ作風を排除していたのに、他の賞も倣っちゃっていたんだろうなぁ。

逆にラノベ界から言わせてもらえば、余命わずかな主人公の恋愛モノでお涙ちょうだいをひたすら量産していた時期は、純文学的にはアリだったのか?と問いたい。

純文学って実はラノベよりも流行りが偏る傾向なのは、純文学こそテンプレの世界だからなのよね。

ストーリーは二の次、テンプレでいいから、キャラをどれだけ盛れるかっていうことで、作風が決まる。

けれどラノベ方向に盛るとセンセイ方から文句が出で賞に選ばれなくなるから、どうしても不幸な方面に盛るしかない。

純文学で世に出るのって有名賞で受賞する一択だし、審査員に忖度しないと作家にはなれないのよ。

だから余命わずかっていうパワーワードは、純文学的にはありがたかったんだろう。

ラノベでいうところの「悪役令嬢婚約破棄」と同じだ。

 

まあ、そんな考察はともかくとして。

ラノベ界がじわじわと勢力拡大するのは、いいことだと思う。

みんなもうちょい気楽に、頭を柔らかくしていこうぜ。