先日、本屋大賞が発表されましたね。
この「成瀬は天下を取りにいく」が大賞となったんですが。
あらすじとしては、「主人公の女子中学生、成瀬あかりが、閉店を控える地元の百貨店に毎日通ってテレビ局の中継に映ろうとしたり、漫才の日本一を競う大会に挑戦したりするなど合わせて6つの短編からなる青春小説」ということらしいですよ。NHK記事より抜粋なり。
これにね、新聞広告なんかで「新しいヒロイン像」「ニューヒロイン誕生!」「こんなヒロイン見たことない」とか、煽り文句が並んでいる。
けど、ラノベ畑の私からしたら「新しいか?」って、ちょい首を傾げる。
ラノベからしたら、むしろ擦り切れるくらいに使い古された主人公像だと思うんだけれど。
これはあくまで「文芸ジャンルオンリー読者からしたら」新しいっていう話なんだろう。
文芸でこれまで一般的だった主人公って、ちょい根暗で真面目ちゃんで、なにをするにも一生懸命な姿が周囲の共感を呼び、だんだんと世界を変えていく……!的なものだったし。
むしろラノベ的作品がラノベとしてではなく、文芸作品として評価され始めているっていうことなんだと思うのよ。
っていうか、ラノベだって立派な文芸作品だろうに、文芸とは純文学であり、あっちは文芸ではないとか言われて下に観られていたのがおかしい気もする。
あれだよ、昔の親が「ゲームなんてするやつはクズだ!」とか言われていた時代の、ゲームとひとくくりにされていた感じ。
特に一時期の芥川賞選考委員の方々の中に、ラノベ的作品を「馬鹿な作品」とかってすごく毛嫌いされているセンセイがいらっしゃったもんだから、そういうのに忖度して純文学界がラノベ作風を排除していたのに、他の賞も倣っちゃっていたんだろうなぁ。
逆にラノベ界から言わせてもらえば、余命わずかな主人公の恋愛モノでお涙ちょうだいをひたすら量産していた時期は、純文学的にはアリだったのか?と問いたい。
純文学って実はラノベよりも流行りが偏る傾向なのは、純文学こそテンプレの世界だからなのよね。
ストーリーは二の次、テンプレでいいから、キャラをどれだけ盛れるかっていうことで、作風が決まる。
けれどラノベ方向に盛るとセンセイ方から文句が出で賞に選ばれなくなるから、どうしても不幸な方面に盛るしかない。
純文学で世に出るのって有名賞で受賞する一択だし、審査員に忖度しないと作家にはなれないのよ。
だから余命わずかっていうパワーワードは、純文学的にはありがたかったんだろう。
ラノベでいうところの「悪役令嬢婚約破棄」と同じだ。
まあ、そんな考察はともかくとして。
ラノベ界がじわじわと勢力拡大するのは、いいことだと思う。
みんなもうちょい気楽に、頭を柔らかくしていこうぜ。