実家店の引っ越しで、当然かなりのお金をつかい、私ってば貯金はすっからかんなわけです。
なので実家店では「引っ越し直後だし、ちょっとのんびりしようや」なんてのんきなことを言っている余裕なんてない。
キリキリと経費を稼いでほしいわけです。
なのに我が兄というのが、どうも「生きていくにはお金がいるんだ」っていう思考がスポッと抜けている人なもんで。
自分の財布から出ない経費は、全て無料サービスなんですよ、彼にとっては。
だからギリギリでやっている店の金庫番(つまり私)と、恐らくは永遠に理解が合致することはないだろう。
近所にパチンコ屋がないことだけは、幸いだと思う。
どうもね、母方のギャンブル好きな親戚にそっくりなんですよ、兄って……。
けれど、兄は「こういう人なんだ」って諦めるのが、私のメンタルには必要なことでして。
「話し合えばわかってくれる」なんていうのは、テレビドラマの中の家族だけだよ。
いつか小堺一機氏がテレビのインタビュうーで言っていたっけ、
ドラマで描かれる家族像が「普通の家族なんだ」っていう思い込みが案外多くて、「ああいう家族になれない我が家は、駄目な家族なんでしょうか?」っていう相談がリアルにあるんだとか。
帰って玄関を開けるなり「おかえり~、今日の仕事どうだった?」とか会話を始める家族もいなければ、
「兄ちゃんに全部任せろ!」なんていう頼りになる長男なんていない。
むしろ得てして長男というのは、初めての子どもとしてジジババにものすごく可愛がられるもんだから、甘ったれに育つ方が多いんだよ……。
そう、「兄は頼りにならなければならない」というバイアスを、私が持っているのも悪いんだ。
あれは甘やかされた甘ったれでしかない、それが真実。
「言わなくても、お金周りが辛いことを察してよ!」っていうのは、無理も無理なんだよ。
後でお金周りで兄本人が困ることになろうと、それは「困る生活をこれまで自分でしてきた」っていうだけのこと。
兄の将来の生活保障は、母が生きている間は母の顔を立ててやってあげるけれど、最低限でいい。
私は己の身を守る防衛策をしっかりとやっておけばいいんだ。
そうやって考えないとやってらんないし、全部私が背負わなきゃいけないことなんてないのよ。
そんなことを考える、この引っ越し騒動のことなのでした。