前にこのブログで、自閉症スペクトラムの周囲の人が精神的に病んでしまうことを「カサンドラ症候群」というらしいよ、と述べたわけですが。
そうやって自分の状態に病名がつくと、色々な病気の原因も明らかになってくるわけだ。
私の場合、まあスペクトラムな兄の存在そのものが原因なのは言うまでもないけれど。
やはり、母の言動もそれなりにストレスだな、とわかってしまった。
特にストレスがMaxになるのは、兄も含めて三人で車で一日出かける時ね。
密室で逃げ場がないから、まあ辛いこと!
自分、母と仲が悪いわけではなく、むしろ仲良し母娘の方だと思う。
それでも、母にとってスペクトラムな兄は、「一人目の子ども」なわけですよ。
世間の大多数の母にとって、一人目は特別にかわいがる傾向があるのは知っている。
ウチの母も、口ではなんだかんだ言いつつも、兄のことが可愛いんだろうな、というのは察している。
だから私と兄が衝突した時は、どちらかの肩を持つということはしないけれども、私の反発心も面白くはないようなのだ。
「アンタもしょうがないわね」みたいな風に言われるのは、ちょっと、ムッと来るんだなぁ。
え、私に引き下がって兄を立てろって、暗に言っている?絶対に嫌ですけれど?
でも、私が決定的に兄と合わないと実感して、「私は兄が嫌いだ」とはっきりと嫌悪を告げるまで、母は私が兄とずっと一緒に暮らしてくれるものだと思っていたからね。
曰く、「二階を兄の空間にして、一階をアンタの空間にすれば、住みわけが出来るじゃないか」っていうことだった。
けれど一般的な住宅だと、一階に水回りなどの生活必須機能は集中しているわけで。
一階を私のテリトリーにするならば、炊事洗濯水回り掃除は私の作業となるだろう。
あの兄のことだから、当然のように洗濯物を「洗っておいて」と出して、「ご飯まだ?」とこれまた当然のように要求する生活は、目に見えている。
けど、母の最善はそういう生活ということ。
そういう母自身だって、実の兄との折り合いが悪かった人なんだけれど、自分の子どもとなると、また話は別だということだろう。
だからこの私の病気は、家族から一ミリも理解されないもの、という諦めを持つことにした。
母の「アンタの気持ちもわかる」というのは、私の怒りを受け流すための方便なんだろうし。
カサンドラ症候群の症状は孤独だっていうのは、なるほど納得である。
マジで理解されないのよ。
いいんだもん、理解されなくても逃げるから!
人生、逃げたもん勝ちですよ。